この春から入社した新入社員の皆さんも、導入研修を終えて、それぞれの実務に配属されている頃だと思います。
私にも、同じように社会に出たばかりの頃がありました。 学校を卒業して就職し、営業部に配属された直後のことです。 横浜の工場の営業部から、突然こう言われました。
「北海道へ行って、新製品の店先監視カメラシステムを売ってこい。 1台売るまで帰ってくるな。」
出張費だけを現金で渡され、右も左も分からないまま単身で北海道へ。 あのときの“目の前が真っ暗になる感覚”は、53年経った今でも夢に出てくるほど強烈です。
今思えば、これが松下電器の伝統的な“投げ出し教育”でした。 ぬくぬくと社内にいては、厳しい販売競争には勝てない。 松下幸之助さんの、そんな考えが背景にあったのだと、今になって理解できます。
■ 北海道での飛び込み営業の日々
北海道に行くのは、そのときが初めてでした。 ちょうど今頃の季節だったと思います。 幸い、北海道には梅雨がないので、雨に悩まされることなく外回りができました。
毎日、片田舎のさびれた商店街を歩きながら、 小型カメラと受像機を大きなカバンに入れて持ち歩き、 1日20軒の飛び込み営業を自分に課しました。
伺ったお店の名前と反応をノートに記録し、 それがそのまま出張報告書の代わりになるのです。
しかし、売れない日が続きました。 北海道に渡って8日目、旭川の木賃宿にしょげた姿で泊まった日のことは、今でも忘れられません。
■ 救ってくれたのは、宿のおばあちゃんのひと言
その宿は夕食付きで、食事の世話をしてくれるおばあちゃんがいました。 私は食欲がなく、お膳に手をつけられずにいました。 その様子を見たおばあちゃんが、そっと声をかけてくれたのです。
思わず私は、 「なぜ北海道に来たのか」「売れなくて困っていること」 すべてを話してしまいました。
するとおばあちゃんは、私が持っていたカメラの実演を見て、 こう言いました。
「甥っ子が牧場をやっていてね。子牛が生まれるときは寝ずの番で大変なんだよ。 これがあれば、うたた寝もできるんじゃないかい。」
そして、甥っ子さんへの紹介状を書いてくれたのです。
■ 朝6時の牧場で、ついに初契約
翌朝6時。 商店街を回って学んだ「主人は朝が一番会える」という経験を活かし、 紹介状を持って牧場へ向かいました。
若い経営者が出てきて、紹介状を読むなり、 「デモを見せてほしい」と言ってくれました。
牛舎でカメラを設置し、必死に説明すると、 経営者はすぐにこう言いました。
「これは便利だ。牛が生まれるときだけじゃなく、 いつでも母屋から牛の様子が見られる。」
その場で契約が決まりました。
さらにおまけがありました。 隣の牧場の仲間にも声をかけてくれ、 同じ畜産大学の同期ということで話が弾み、 2セットの契約が決まったのです。
■ 50年後に知った“その後の物語”
あれから50年以上が経ちました。 後に知ったのですが、 あの2人の若い経営者は、牧場の省力化について論文をまとめ、 母校に提出して修士の資格を取得し、 のちに教授になられたそうです。
そして、あの牛舎の監視カメラ装置は、 今でも後輩たちが売り続けている“ロングセラー商品”になりました。
新入社員の頃から、50年の間にいろいろな営業の経験をしました。
でも、身体を壊して、再起するには食事の摂取で大きく改善しました。
身体が資本の営業の仕事です。
私の事例をお話します。
営業の体験談発表会では、私自身の体験談を最初に話すようにしています。
まず、私の失敗談から話しています。私は、お菓子の食べ過ぎで肥満から心筋梗塞の手前になり、救急搬送されて心臓カテーテル手術で一命をとりとめた78歳です・・という体験談をお話すると、お客さんが聞き耳を立てて関心を示してくれました。
なので、私はお客さんには、積極的に声をかけて、私が実践している簡単な健康法をいつも体験談として、気軽に話すことを心がけています。
話すことで、相手はリラックス効果のある私の体験談に耳を傾けてくれます。
健康を志向することは、とても良いことで、整体師として私も自分の事例をいつも話題に提供しています。
身体の老廃物排出法を効率よく、確実にするには、血流量が豊富で、血液のなかに栄養と酸素が十分にあるという前提状況を、自分の努力で促進することが何よりも大事なことです・・という体験です。
このために自分で出来る健康促進法として簡単なことは、栄養のバランスの良い、栄養素を多く含む食事を考えて摂取することが、効率の良い健康維持の方法で自己努力により、できることです。
私の父は、技術者でしたが、その研究心と熱心な調査を自分でして、血液の栄養素を十分に維持するには・・と調べつくして、ワタミ宅食のお弁当に行きつきました。
父はこの自分で調べて、毎日食べると言う・・努力というよりは、父は毎日、弁当が届く時間になると玄関で待っていました。毎日の食事をわくわくして宅配食を待つと言う心の準備が唾液から、胃腸の分泌物を完全に高めていたと思います。
ワタミ宅食のお弁当を楽しみながら食べて、10年が経過して、私の両親は100歳を超える長寿が達成できました。
食べる力が弱った高齢者ほど、毎日の食事の質が寿命を左右します。
私は、いつもこの気軽で簡単に健康維持をした長寿の事例を参考にしていただければと、両親のそばで見てきた長寿法として、ワタミ宅食のお弁当を毎日食するという手軽な健康法と言える、楽しみを持つことが心の健康にもなり、一挙両得と健康を重視する方に、事実としての事例をお話しています。
私の両親が100歳を超えた理由のひとつが、この宅食でした。
👉 ワタミの宅食の公式ページを見る(A8.net)
高齢者食宅配市場14年連続売上シェアNo.1 「ワタミの宅食」
■ あの日の“投げ出し教育”が、私の原点
53年前、北海道で味わった極限の経験。 売れない日々、木賃宿のおばあちゃんの優しさ、 朝6時の牧場での初契約──
あのすべてが、 私の営業人生の原点になりました。
新入社員の皆さんが社会に出るこの季節、 私は毎年この出来事を思い出します。
この記事が、あなたの健康の不安を少しでも軽くし、あなた自身の心の支えになれば嬉しく思います。
私の両親の長寿の秘訣を合わせて、お伝えします。あなたの知りたいという気持ちに少しでも添えて、あなた自身の心の支えになればと、関連する記事をご紹介します
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